心よりお見舞い申し上げます。

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3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震により、被害に遭われた方、ご家族、ご関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。


地震発生当時、私は職場の地下会議室で、同僚と会議の後片付けをしていました。

当初は、普段関東でわりと頻繁にある震度3程度の軽い地震だろうと思っていたら、あまりに長く強く揺れるので、慌てて退室し、他の部屋に居た人たちと屋外へ一時退去しました。


都内のJR・私鉄すべて運転ストップ、羽田も成田も空港閉鎖なんていう超緊急事態、

いつもは最寄り駅にたむろしてるタクシーもまったく捕まらないので、

徒歩で帰宅するのは断念し、職場に一泊しました。


都内某所に勤めている夫も1時間歩いて私の職場にたどり着き、

まったくの部外者なのですが、避難民の一人として受け入れていただきました。

貴重な水や毛布を貸与していただきましたことを改めて深く御礼申し上げます。


しかしまぁ、うちの職場は震災や津波等で被災した地域や文化財の調査や復旧がメイン業務なので、こういうときの指示や行動がテキパキ早い!


上司の部屋のソファーやテーブルを全部運び出し、寝る部屋を確保し、

さらに男部屋と女部屋に区別し、飲み物、食べ物を一箇所に集め、

フロアに数個あるテレビではNHKと民放をそれぞれ点け情報収集をしました。


私も、電車の運行情報を逐次案内したり、プリントアウトして貼りだしたり、微力ながらお手伝いしました。


30名帰宅困難者も、一晩明けると17名ほどに減り、私たちも運行を再開した電車で無事帰宅できました。

JRは全然ダメだったけど、私鉄の復旧は早かったなぁ~・・・

銀座線が動いたと速報が出たときは、職場で歓声が上がりました。でも銀座線で帰宅できる人がいなくてアレでしたが。

すごいですね、一番古いけど、一番しっかりしてるのかな?

その他路線も未明から明け方にかけて続々と運転再開だし。本当にすごい。

各鉄道会社の皆さん、本当にありがとうございます。


テレビが倒れて壊れてたらどうしよう、たんすが倒れて中身がぶちまけられてたら・・・、

食器棚が・・・と相当不安でしたが、家の中はまったく被害なかったです。

同じ市内に住む実家の親や親戚も全員無事でした。


まだまだ被災地では大変な状況が続き、福島原発も怖いし、昨夜は静岡でも大きな揺れがあって

予断を許しませんが、

皆様方のご無事をお祈りするとともに、被害が最小限に収まること、また一日も早い復興を願っております。

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このページは、hitoyumeが2011年3月16日 10:30に書いたブログ記事です。

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